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DOCOMO CS Hokkaido | Recruiting

Project 01

胆振東部地震 災害対応

未曽有の大規模停電が発生。
緊急対応を迫られた北海道胆振東部地震。
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2018年9月6日午前3時7分。最大震度7の地震が北海道を襲った。
その後、北海道全域で約295万戸もの大規模停電(ブラックアウト)が発生。
街の中から明かりが消え、携帯電話もつながらなくなった。
情報共有やコミュニケーションの方法が閉ざされ、大きな不安に包まれたあのとき。
通信ネットワーク整備や営業の現場ではどのように対応したのか。緊急対応にあたった4人にインタビューを行った。

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メンバー紹介

白鳥 勤

白鳥 勤

ネットワーク運営部
サービス運営
1997年入社

石川 政宏

石川 政宏

エリア品質部
エリア品質技術担当
1998年入社

石田 智哉

石田 智哉

法人営業部
ソリューションサポート担当
1998年入社

上原 史江

上原 史江

札幌営業部
ルート営業担当
2001年入社

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地震後のブラックアウト。 徒歩や自転車で出社。

朝になっても一帯は停電したままだった。公共交通機関はすべて止まっているだろう。普段地下鉄で通勤している上原は徒歩で出社することを決め、歩きやすいようにリュックを背負った。2歳の子供の保育園は休園になったので、近くに住む実家に子供を預けた。昼食を買っておこうと途中でコンビニエンスストアに寄ったが、棚には商品がなく何も買えなかった。

白鳥と石川はそれぞれ自宅から自転車で会社へ向かった。ドコモ北海道ビルは非常電源が作動し、電気が点いていた。急いで執務フロアに行き、オペレーションセンターからネットワークを遠隔で監視する画面を見て愕然とした。通信の中断・故障を表す赤色で画面が埋め尽くされていたからだ。「あんな画面は今まで見たことがありませんでした」と白鳥。石川も「あの真っ赤な画面を見て、えらいことが起こったと思いました」と振り返る。

苫小牧支店で法人営業を担当していた石田は、歩いて出社。この地震で最大震度を観測した安平町や厚真町はどちらも苫小牧市から30キロ前後のところにある。支店内には動揺が広がっていた。自分たちはいったい何をすべきなのか。しかし、何もしなければ何も解決しない。正解がわからないまま、社員それぞれが自分にできることを見つけて行動し始めた。「どんな小さなことでもいいからお客さまの役に立つことをやっていこうという空気で満ち溢れていたと思います」。

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道内全域のネットワークが停止。 遠隔監視しながら救済対応。

白鳥は関連部門と設備復旧会議を開いて活動の指揮を執り、遠隔措置チームのリーダーとして無線設備の遠隔監視と遠隔措置に取りかかった。大規模停電で多数のサービス中断・故障が生じていたため、近隣のサービス継続局のアンテナ角度を変更してエリア救済。さらに、様々な影響を考慮しながら優先順位をつけてバックアップ電源の保持時間の遠隔延命措置を行った。 地震前日には台風21号が北海道を直撃。その爪痕が残る中でのブラックアウト。白鳥は「人や災害対策機器などリソースが限られる中での優先順位付けは難しかったです」と明かす。

エリア内の基地局で次々とバッテリーがなくなりサービスが停止していく中、石川は札幌から遠隔で制御し、運用中の基地局のエリアのチューニングを行って携帯電話使用可能エリアを調整していった。「携帯電話が使えなくて困っているお客さまが少しでも減るように。考えていたのはそのことだけだったと思います」。 夜になっても停電は復旧せず、サービスも回復しない。ひとまずその日は全員帰宅しようということになったが、辺りは真っ暗。白鳥は「暗闇の中を自転車で帰るのがつらかったですね」と回顧する。石川も自宅までの約10キロ、黙々とペダルを漕いだ。「無我夢中だったからなのかわかりませんが、当時のことはあまり思い出せないのです。でも、真っ暗な道を自転車で帰ったことは記憶に残っています」。

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信号の点いていない道路。 お客さまのために全力で対応。

ルート営業チームは市外在住者も多く、地震当日に徒歩や自転車で出社できたのはチーム内の社員全体の3分の1ほどだったという。優先電話で各ドコモショップと連絡を取ったところ、停電で困窮しているショップがあることが判明。上原は車に発電機を積み、ショップへ向かった。
見慣れていたはずの道路は、信号が点いていないだけで全然違う風景に見えた。交差点では何度も左右を確認してゆっくりゆっくり進む。「慌てず、落ち着いて、安全第一」。呪文のように唱えながら運転した。

ショップでは、携帯電話の充電を希望する多くのお客さまが暗闇の中で待っていた。上原はショップスタッフとともにお客さまの受付や誘導を担当。「当たり前だったことが急に当たり前でなくなってしまうのだと身をもって知りました。お客さまやショップスタッフの不安やストレスを汲み取り、心情に寄り添って対応することが大切だと学びました」。

そのころ、石田も「電話が通じなくて困っている」と連絡のあったお客さまに衛星電話を届けるため、信号が消えた道路に苦戦しながら車を運転していた。やっとの思いで到着し、ご不便をかけたことをお詫びして手渡した。お客さまからはお叱りの言葉が返ってくるものと思っていたら、「ありがとう。助かったよ」と温かい言葉をかけられた。「遠距離運転は大変でしたが、お客さまのお役に立ててうれしかったですね」。

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ドコモが一番つながる。 その声がやりがいに。

ネットワーク建設部、ネットワーク運営部、エリア品質部の3部の連携によるネットワーク復旧作業で、携帯電話の使用可能エリアは次第に増えていった。石川は「マップを見てエリアがどんどん改善されていくのがわかってうれしかったですね。マップの“赤”が全てなくなったとき、チームの全員でこの局面を乗り切ることができたと大きな達成感がこみ上げてきました」と語る。
「後日SNSのコメントなどを分析したところ、Twitterで『ドコモが一番つながる』とコメントされているのを多数目にしました。みなさんのプレゼンス向上に少しでも貢献できて良かったと思いました」。

遠隔措置チームのとりまとめを担当していた白鳥は、負担が偏らないようメンバーに声をかけながら作業分担をした。関係者が集まる対策本部会議では毎回、稼働状況を説明した。
「担当の割り振りなどを迅速に決めなければならなかったり、人前で話をする機会があったり、初めてのことばかりの数日間でした。冷静な判断力や人前で話す度胸が付いて、自分が少し成長できた気がします」と自信をのぞかせる。
「後日、周りから『ドコモは早くつながった』『ドコモは品質が良かったよ』と言われてうれしかったですし、それが仕事のやりがいにもなっています」と笑顔で話してくれた。

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世の中の役に立っている喜びと責任感。 未来へ向けて進化を続けたい。

石田が特に今回感じたのは、「人と人のつながりの大切さ」だという。「支店メンバーの間に強い絆が生まれ、支店以外でもいろいろな人が『大丈夫か、何かできることはないか』と声をかけてくれたことは一生忘れません。いい会社だなと思いましたね」と打ち明ける。

多くのお客さまと接した上原は、自分たちの仕事が世の中に大きく役立っていることを実感し、その重要性や責任の重みも改めて認識した。「この会社の一員として働けることに喜びと誇りを感じます。お客さまやスタッフの心に寄り添って対応するということは、コロナ禍でも通じる部分があると思っています」。

白鳥は、社員一人ひとりの強い使命感を感じる日々だったと振り返る。「通常の方法では対応できない状況の中で、チームのみんながいろいろなアイデアを出してくれました。他部署の方もたくさん応援に来てくれて心強かったです」と仲間に感謝する。「携帯電話は日常になくてはならないもので、それをいつでも快適に安定して使えるようにするのが我々の使命」。その口調には、強い決意が表れていた。

道内全域でのブラックアウトとネットワークの断絶という経験を糧にして、石川はこれからの未来を見据える。「停電時にもつながるネットワークを含め、お客さまが求めていることにいつでも応えられる会社でありたいですね」と言葉に力を込めた。

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